今月は初釜です。正式な茶事の形式でさまざまな作法を教えていただきました。お正月飾りや午年にちなんだお道具など、たくさんのめずらしい物に触れ、貴重な体験をさせていただきました。紹鴎棚のあけぼの棗は鶴、右には〆縄の亀、よくみるとしっぽはお米です。客への健康と長寿の願いを込めたおもてなしの心があらわれています。
続いて高松の桂川さんによる丁寧な本懐石が運ばれました。年末にユネスコの無形文化遺産にも登録された和食。割烹とよばれる日本料理は切ること(割く)ことが第一で火を使った料理(烹る)がこれに続くとされ職人の包丁捌きは真似ができません。盛りつけの美しさは自然の美しさや季節の移ろいが見事に表現されています。出汁は鰹を削っているそうで薄味なのにしっかりとした旨味が感じられます。その季節のおいしいものの素材の持ち味を最大限生かしおいしくないものまで手を加えて食べたいとはおもわなかった日本人の消極的な調理法は、香辛料や調味料で積極的に調理した諸外国の調理法との違いは明白で、後世に残したい食文化です。食べ方もひとつひとつ教わりながら、お正月は酒盃も大杯で太っ腹。膳の最後は香の物とお湯で清めて返します。食べ終わった後の姿も美しく、こだわりたい日本の美ですね。
軸は和気萬福生 中立の間に巻き上げられて花に入れ替わります。椿のわびすけと柳が羽子板の花入れに生けてありました。柳が畳に付くくらい長く垂れているのが、とても立体的な美しさを醸し出しています。柳は陽の木でその芽張りはやがてくる春を表し、一陽来福(冬が去って春が来ること)を祝う心を表してお正月にかけられるようです。
茶杓は松と竹と梅の木で削られた3本のうち銘が老松の松を使用しました。松と竹は冬期に常緑を保ち、梅は花を開くことから歳寒三友と呼ばれるそうです。主茶碗は黒楽で九代了入作で銘は常盤。200年前の方のお茶碗でお茶をいただくという事も永久不変な銘の重みを感じます。午年にちなんで12代弘入作の馬上盃、銘は絵馬。騎馬民族が馬の上で飲めるよう考慮されたもので高台に穴をあけて紐を通して腰に下げたとか。まさに勝負器でその存在感にあやかるべく、片手で力強く飲んでみたい茶碗です。
年末から夜話初釜と先生には大変すばらしい茶事を拝見させていただきました。こんな短い間に次から次へとまるで時間を惜しむかのようですが、まさにTime is life時は命なり。 刻一刻と時をきざむ時計の針はあなたの命を刻んでいる。その命になにを刻むかによって人生はさまざまに変化します。一日を過ごしたならあなたの寿命も一日短くなる。無駄に費やせば命を無駄にしたことになる。失った時間は取り戻せないと同時に命も有限です。無限にあるようにみえて決して買ったり増やしたりすることのできない時間。その大切な人生の時間に日本人として祖国を学ぶ時間を持つことは、日本に生を受け生きてきた誇りを感じることでもあります。茶道ではさまざまの日本芸術、おもてなしの作法、ほぼすべてで日本を学ぶことができます。働いていれば最大のコストは時間です。時は金に等しく余分な時間を見つけることは昼間の星を探すように困難なことですが、今日は大変有意義に日本人であることを誇りに感じる時間を過ごせた一日でした。