行雲流水
小林 太玄 大徳寺横梅院 筆
白雲がいつのまにかその形を変え、
風のまにまに東へ西へと移動して
一つ処に住まることがないように、
また水があるいは瀬となりあるいは
淵となりながらも、絶えず流れて住まる
ことがないように、一処不住すなわち
無執着で生きたいという願いのようです。
暑い夏もようやく雨が降って朝夕少し涼しくなってきました。空から水が降ってくる雨を見ると、自然に生かされているんだと感じます。昔のように水を汲みにいっている生活なら、それだけの人口でしかなかったのが、自然を制して自然淘汰を克服し、科学の力でここまで養えるようになった。
昔に戻ることは存在自体できなくなることを意味し、もはや後戻りはできないものの、様々なものに
頼る生活にちょっと疑問が生じます。豊になったようでも争いは激しさをまして、民族間の争いは絶えません。しかし、よそからの影響を受けなかった文化や国があるだろうか?お茶をとおしても様々に大陸の影響を受けて、また日本文化もいろいろに他国に影響を与えてきた歴史。都合のいいところまで理解するのではなく、どのように成り立っていったのかを理解する努力を続けていきたいと思います。
主菓子 着せ綿
重陽の日に菊の花を真綿で覆って夜露と香りを移し、翌朝その綿で体を拭えば菊の薬効により無病であるという習慣です。
菓子器 沈 寿官 作
月の美しい9月に合わせてうさぎがいます。
亭主や床の間の一番近くに座っているのが正客です。お客にも序列があってなんでも階級?って思ってしまいますが、実はお茶事では亭主に質問できるのは正客だけ、代表者以外はだまっていよう、現代では怒られますが。お詰は最後の一番戸に近いところに座っています。今では、入り口に座る幹事さん役でその習慣はちゃんと残っています。
お茶が回ってきたら“お先に”と隣に挨拶します。我先にと飛びつかないところが優雅で余裕があっていいですね。日常でもさりげなく言葉にできたら相当かっこいいと思います。
もう飲んだ側には“もう一服いかがですか”と声をかける。たえず他の客を気にかけて自分は一番最後です。自己チュウではお茶はできません。全てにおいてこれができていたら、この世から争いがなくなるのかもしれない。
お茶碗をまわすのはせっかくのお茶碗の正面を汚さないよう謙虚な気持ちでいただくという意味です。お茶道具は正面がありますが、道具も向きを意識して正しく扱うということです。そうすれば粗相も減り、道具も長持ちしてエコというわけです。
安食 ヒロ 作 抹茶茶碗にも餅つきうさぎが。
特別に作ってもらった茶碗のようで、こんな風にして季節を楽しませてくれる先生に感謝です。9月30日は中秋の名月です。
これを機に未知なる宇宙に想いを馳せてみるのもいいかも。
H24.9.20