消息(手紙)を風炉先に表装したものがありました。もうお亡くなりになられた方だそうですが、見事な筆です。このようにして手紙が保存されているのは博物館などでよく見かけますが、故人のものを残し大切にするという日本の文化もかけがえのないものと思います。支配者がかわらず、略奪、破壊があまりおこなわれなかった日本では様々な道具や文化が損なわれることなく受け継がれてきたことは誇るべきことです。茶道では追悼茶会や献茶など神仏に供える儀式があります。(膳は精進料理だそう)故人を敬い偲んでお茶を奉げることで、人が死ぬ定めであることを思い出させてくれる。あたかも一万年も生きるかのように行動せず、不可避のものが待ち受けている。生きているうちに、許されている間に善き人たれ。今の自分を振り返りながら仏前に茶を供えたいと思います。 |
花 つぼさんご 花筏 |
軸 百鳥花開千古春 百鳥 花開いて 千古の春 |
4月から風炉のお手前です。今日は二か所で薄茶の練習。半年ぶりですっかり忘れてしまって、また一から教わる羽目に。
床にきれいな茶箱がおいてありました。茶道具の一種で、点前道具一式を収納して持ち運び野点ができます。自然の中にお茶を持って行って楽しめるようにするとは贅沢な話ですね。昔の人も桜の下で茶会を楽しんだのでしょうか。
今月は追悼のお茶としてさまざまな事を学びました。茶道が禅と宗教につながりをもつものであると同時に、その儀礼がどのような意味を持つのかとても勉強になりました。先祖を敬い大切にすることによって、存在するもの、生成しつつあるものがいかに速やかに過ぎ去り、姿を消して行くかについてしばしば瞑想するがよい。なぜならすべての存在は絶え間なく流れる河のようであって、その活動は間断なくかわり、常なるものはほとんどない。現世で様々に苦しんだり、おそらく死を目前にもがいたりすると思いますが、すべての出来事は生まれつき耐えられるように起る、もしも耐えられないような事が起こるならその事柄は我々を消耗しつくした上で自分も消耗するであろう。恐れや不満をぶつぶつこぼさずに、事柄そのものより怒りや悲しみで苦難を増大させることのないよう、日々過ごして行きたいと思います。