軸 行雲流水 こううんりゅうすい 大徳寺黄梅院住職 小林太玄
禅宗の修行僧を「雲水」というのは、彼らが行雲や流水のように一処に定住することなく、諸方を遍歴修行して歩いたことから出たものであるが、同時に「無執着であれ」との期待をこめてのこと。人間は仏性を具えながらも、他面では五欲煩悩のかたまりで、死を嫌って生に執着し、金銭に執着し、権勢や名誉に執着し、しかも執着するのあまり、かえってそれらに縛られて身動きができず、迷いに迷いを重ねている、一切の迷いの根源は執着にある。迷いから脱却しよう、解脱しようというならば、美しいものを美しいとみてしかもこれに執着せず、美味しいものを美味しいと味わいながら、しかもそれにとらわれずというように執着を離れて無執着なる行雲流水になりたいという願いである。流れる雲や水のようにいちいち訳など聞かずにどこなりと行けというところへ行って死ねばいいではないか。そんなにくよくよしなくったって天の御国へはどうしたって結局行けるんだからとサバサバ生きたいと思います。
花 夏蝋梅 花入れ 鮎籠
この時期にロウバイがあるとは知りませんでしたが、れっきとしたロウバイ科で原産の中国では絶滅危惧種だそうです。初夏にさくロウバイで早春の芳しい黄色のロウバイと異なり香りはありませんが、ピンクがかった縁取りの白の花弁と内側が黄色、葉が光沢がかった緑と色香に溢れています。
棗 竹林棗 金の蒔絵の竹林で扱いが悪いと絵柄があわなくなります。
菓子器 鯛 胸鰭のところは壊れるといけないので摘まずに、両手で蓋をとります。
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新入部員におもてなし
あれ、パパがいる |
水差 古染付葡萄棚水差
今日はお茶を習いたいという二人の新入部員が、見学にこられました。千利休が好きだったりと、思いは様々ですが、同じ仕事仲間が貴重な時間を割いて、こうして訪ねて来てくれたことは大変うれしいです。今の私たちにとって、茶道ほど年配の方の教えを請う機会はありません。若輩である自分の生きている世界だけでしたり顔をせずに、先輩方には常に敬意を持ちたいと思います。学問は人類の今までの経験を一まとめにしたもので、前の時代からの教えを受け継いできたから人類は猿から進歩することができた。一人ひとりがいちいち猿から始めていたら、人類はいつまでたっても猿同然で、今日の文明には達しなかっただろう。お茶はたくさんの年配の方からの知恵や技量を学べる場。先人の経験から古きを学んだ上で、また新しい経験を積んで前に進みたいと思います。