2014年1月15日水曜日

【茶道クラブ】平成25年12月4日

 

元禄15年12月14日赤穂浪士討ち入りの日にちなんで今月は忠臣蔵の趣向です。現代語で言えばおよそ300年前におこった47人の失業者による殺人事件。ですがこれほどまで伝えられ愛されてきた古事は類をみない、実に奥深い事件です。主人の仇討に47人もの侍が命をかけたという話も驚きですが、日本では民衆が自分の頭で判断し、その動向が幕府を揺るがす力を有していたという事実も驚きです。時の民衆に愛され、また後世にも伝えられ、いまだに泉岳寺では毎年赤穂義士祭に多くの参拝客が訪れます。人間が地上に描いた諸行は白紙に墨を落としたように千載までも消えない。周囲の目はもちろんまるで何百年も後世の人に見られることを意識しているかのような颯爽とした生き方は、本当に美しく感服させられます。また46人に対し当時の助命嘆願の世論を憚らず“一党の中には少壮の者も少なくない。万一晩節を誤るような者があっては慈悲がかえって仇となるやもしれぬ。時には死を与えることも情けとなろう”と切腹を命じる決意をした時の将軍の判決も正鵠を射たものだった。日本人の美意識が見事に結集したかのような忠臣蔵、日本人が誇れる文化歴史だと感じました。

主茶碗 瀬戸黒 銘 残月 元禄年間

 討ち入りは午前4時頃、月の光冴えわたり、屋内家内の働き掛引にも、難儀いたさず、先ずは雀色時の薄あかり・・。茶室も当時に合わせて灯心の火灯り、吉良邸をさがす赤穂浪士の物語が再現されます。
 
  干菓子 山川 彩雲堂

夜討ちの合言葉 山と申せば川と答え、何と申せば何と、二段の用意を仕りました。合印は両の袖に白布などを縫い付けました・・。決行まで二年もの間、かなりの準備をしていたことが伺えます。

 
茶杓 呼子 山田宗有 宗偏流8世

 二番鶏の声もきこえ、夜も明け初むる頃にても讐敵見つからず、一同心も心ならず、さては武運も尽き果てもはやこれまでと思い定めたそのとき、けたたましき呼子の笛きこえて見事成就し遂げた。とても感慨深い“呼子”の茶杓、真ん中に穴があいています。山田宗偏は茶会の日を知り(吉良の在宅の日)、桂川かごの所有者でもあったというキーパーソンですね。
 


塩見まんじゅう かんかわ(赤穂)

 討入後幕府の沙汰を待つ間、細川家お預かりの身となった浪士達は厚遇を受け、朝夕日夜の御馳走に懲り、郷里の黒米に塩鰯が恋しくなったと漏らしたという。(さすが細川家、御待遇とやらは羨ましい)吉良上野介との事件の発端も赤穂塩の確執説があります。浅野内匠頭が即日切腹となったため、原因は迷宮入りですが・・。


  茶入 瀬戸 精舎

  京都の撞木町廓は大石内蔵助が遊興したといわれています。大石は精舎などまっぴら御免の自由奔放な遊び人であったとされる説、吉良の目くらましに放蕩したという説にわかれます。真相は謎ですが、“あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし”と主君の墓前で読んだ句といい、切腹当日一同に“では、お先に”と告げた言葉といい、かっこよすぎ。



  棗 二つ巴 示斎宗哲 山田宗有

 大石内蔵助の家紋です。平時は昼行燈と渾名されていたが、お家断絶に際して紙くず同然になるであろう赤穂藩札の交換に応じ、経済の混乱をさけ、藩士に対しては分配金を下に厚く上に軽くして家中が分裂する危険の回避に努め、家老としての名手腕を発揮した。この処置は現代の政治経済でも見習わなければ・・。

 



 


花入れ 桂川かご 池田瓢阿

 利休が桂川辺で鮎漁の鮎夫が腰に帯びた魚籠に目を止め、掛け花入れとした→二代少庵→三代宗旦→山田宗偏→吉良上野介の茶室に渡り、討ち入りでは吉良の首の代用として、この花入れが風呂敷に包まれ、槍の先に刺されて赤穂浪士の道中に用いられたという。(本物は船で運ばれたそう。)この興味深い逸話は、籠の下辺に、槍幅ほどの繕い傷があることから肯定されるそうな。本物は香雪美術館にあるそうです。いわれれば形がなんとなく・・。

 軸 義心貫天地 山田宗有 

 義の心、天地を貫く 

 元禄赤穂事件はまさに当時の江戸の人心をつかみ幕府を動かした日本人達のエネルギーが感じられます。世間体を重んじる日本人、民意がどちらを支持するかも重要一事で他人様に迷惑をかけずに常に清く誠実であるべしとの教えが存在していたことがわかります。公儀で決定した裁断の後に、仇討を果たすという事は、幕府に対するテロ行為であるにもかかわらず、執政官らは彼らの延命に駆け回っていた。御政道に批判を加え、御公儀の片落ちを正し、それを見届けたこの事件は、300年前の日本でおこったということ。この歴史に誇りを持ち、彼らより退化してはいけない、また後世の人から見てこの振る舞いは美しいか?正しいだろうかと思いをはせながら常に処していきたいと思いました。佐藤先生には他にも初めにそばを御馳走になり(赤穂浪士も討入前にそばをたべたとか、一人が蕎麦屋に扮して潜伏していたとか・・)元禄時代の釜など、貴重なお道具の数々を取り揃えてさまざまな逸話とともに拝見させていただき、茶道の楽しみ方が凝縮したような一日を過ごさせていただきました。 
 

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