2011年10月20日木曜日

【茶道クラブ】2011年10月20日(木)

【茶道クラブ】

~神無月 名残のお茶~ 


 お茶は前の年の初夏に詰めた新茶の茶壷を開炉の時季に口切りし、一年がかりで使っていくのですが、一年間馴染んできた葉茶の最後の名残を惜しむとともに、夏から秋へむけて季節が移ろうのにあわせて風炉から炉へ変わっていく、夏の風炉の名残を惜しみ冬の炉の時季を待ち焦がれる時期で一年でもっとも侘(わ)びた季節のお茶です。茶室でも障子が少々黒くなっていても張り替えはしないとか、ちょっとぐらい破れていても切り貼りですますとか、辛抱しておく。焼物は普通青竹を使うところも、白竹でいく。向付(むこうづけ)でも同じものを揃えて出すのではなくて、わざと不揃いな寄せ向にするなど、古茶をいとおしみ、口切に向けて甚だ(はなはだ)大切な月ということになります。

 お道具も何代も受け継がれてきたふるいものがこの時季にはふさわしくなります。一代もとぎれることなく、代々大切に受け継がれてきた道具には、新品では味わうことができない存在感を宿しています。使っているうちにお茶をするのにつごうのよい形になり(傷かもしれませんが)、さらに手入れをおこたらなければ、お茶をのむのにふさわしい精霊が(傷に住み着いた微生物かもしれませんが)、宿るような気がします。手入れをおこたると精霊のかわりにカビなどがついて黒くなったり、いやなにおいを発する黴菌(ばいきん)がついて使い物にならなくなる。適切に扱えばお茶の匂いが香ってくるような、なんともいえない茶道具になる。代々伝えられ朽ち果てることなく、今こうしてここに存在する、その道具がたどってきた時代に敬意を払う気持ちになります。 

柿の絵 森一鳳 江戸後期
幕末の絵師主菓子の
山苞(やまづと)も
柿餡(かきあん)です。
山苞は山からの贈り物の意。 

鶺鴒(せきれい) 川合玉堂
明治-昭和の日本画家新しい
魂を招きよせる鶺鴒の神話が
日本書紀にあります。 

やつれ風炉 道爺(ててどうや)
西村家4代1700年代の京釜師
江戸中期
東陽坊釜(とうようぼうがま)
(筒釜で環付が鬼面に
なっているのが特徴)
奥平了保(おくだいらりょうほ)
 千家十職の大西家10代目
浄雪の弟でもある 江戸後期 

花器 須恵器(すえき)
古墳時代から平安時代まで
生産された陶質土器で、
本来は米やお酒を
入れる容器であった。
弥生時代敷板(しきいた)
神代杉(じんだいすぎ)
神代の昔から眠り続けて
いるという意味で、
千年単位で生きたまま腐らず
埋まってしまった木といわれる。
花 りんどう、すすき、
ほととぎす、みずひきそう 

香合 芦雁(あしかり) 篠原如雪
香川県讃岐の木彫り陶芸家 一声 円能斎鉄中(えんのうさいてっちゅう) 13代裏千家家元 一声は雁にかかるのでしょうか?一声の雁に秋の到来を知る。さらには「あ、これだ」と一声悟りが開けてみるとこれまで立ちこめていた一切のもやもやがきれいに消散し、爽やかですがすがしい秋の空のような境涯(きょうがい)が開けたという心境を託しての意味もあるようです。 

今月はお茶会を控えて大変貴重なお道具を拝見させていただきました。とても侘びた雰囲気で、名残というどこかさびしいけれども、それをひとつの芸術として表現してしまう日本人の感性は、これらのお道具とともに何代も受け継いでいかなければいけないのだなと感じました。

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